今日兵庫で、寝ていた夫を刺し殺す事件があった。奥さまが朝旦那さんを起こしに行って、旦那と喧嘩になり、腹を刺したんだとか。
日々色々なニュースがあるが、つい考えてしまうのは、その現場にいた加害者、被害者の頭の中のこと。
どんな環境で生きてきたのか。
その日どんなことがあったのか。
そして、その事故が起こったとき、どんな感情が沸き起こっていたのか。
どうして抑えられなかったのか。
誰だって、良い人生を歩みたい。
良い人生に対する考え方、これが価値観だ。
これは人それぞれであって然るべき。
誰かに描いてもらうものではない。
自分の価値観に沿った生き方が出来ていない人は、理由もなくイライラしてしまう。
些細なことで怒りや憎しみスイッチが入ってしまう。
感情は意味があって出てくる。
多くの人が勝手に良くない感情と決めている怒り、不安、悲しみなども、喜び、興奮同様に理由があって出てきている。
その感情を深く深くひも解いてあげると、そういう感情は結局、「自分は幸せに生きたいのにその通りに生きられていない」という心の叫びなのだ。
こういう感情に目を向けて、根本を掘り下げると、自分の価値観が見えてくる。
自分はどう生きたいのか。
誰が決めたか、怒り、悲しみ、妬み、悔しさ…そういった感情はネガティブ感情と呼ばれる。
より良い人生に導いてくれるシグナルなのに。
長期的に見れば、そういう感情もポジティブな影響をもたらしてくれるのに。
感情が、なぜ出てきているのかという根源に目を向け続けてほしい。
事件の話に戻そう。
イラっと来て、刺すという行動に出ているのだろう。
きっと積もりに積もった怒りなんだろう。
でも、どんなに感情が積もろうが、行為をコントロール出来る人もいる。
出てきた感情を行動に出す人と出さない人の差。
人はこれを理性という。
理性とは、守りたいものなんだと思う。
家族や仲間との生活、趣味、自分の人生…。
大事なものがある人は、人のことを刺したりしない。
ニュースに出てくるような行動に走ってしまった人は、自分の人生を好きになれていないんじゃないか。
自分の人生を好きになるには、受け身ではだめ。自主性がいる。
自分が好きなことは何か。
幸せな人生って何か。
誰の役に立ちたいのか。
どうやって役に立ちたいのか。
なりたい自分像は何か。
なりたい自分像になるために活かせる強みは何か。
こういうことを探求する自主性がいる。
幸せは与えられるものじゃない。
周りが与えられるのは、それを考える環境ときっかけ。
こういうきっかけがあれば、人を殺めるような行動を移さなかったんじゃないだろうか。
殺人という行動だけではない。
子供の非行もそう。
子供に厳しい要求をしながらも、支援を惜しまない親の子供は非行に走る率が低いという研究がある。
これはどういうことか。
要求が高いとは期待が高いということ。
子供たちは期待に添いたいと、目の前の山を登りだす。
目の前の山は登ってみると意外とつらい。
挫折しそうになりながらも、周りの厚いサポートを糧に登りきる。
期待に応えられた!
また親から厳しい要求が来る。
「次はあの山を目指してみようか。」
登れるかなぁ。でも親の期待に応えたい。この山登れたのだから、あの山もいけるかもしれないしと、また登りだす。
辛くて、挫折しそうになるも、親からサポートがあり、頑張ってみる。
また登りきれた。
「自分は結構できるんだ。」
ここまで行けば、自分で走り出す。
自分の自信という枠の中で、なることの出来そうな最高の自分に向かって。
そして、また困難を乗り越えた経験が自信を高め、最高の自分はもっと大きいんじゃないかと思い始める。
自分は結構出来るんだのあたりから、もうこの子は自分の人生が好きになっている。
「自分は出来る」という思いがある子が、自分の将来の可能性を潰すような非行に走るとは考え難い。
この研究はそういうことを教えてくれているんだと理解した。
ストレスが猛威を振るう企業で、こういう話をすると、管理職になればなるほど、「なりたい自分像なんてないよー」という反応が来る。
別にそんな大それたことでなくていい。
①なんのために仕事しているのかという理由を、②自分が嬉しいと思う価値観に結び付けられれば、今まで敵だと思っていたストレスがスッと味方になる。
やる気には二つある。
お金や周りからの評価を得たいという外発的なものと、自分がやりたいからやるという内発的なもの。
外発的やる気による行動にはネガティブなストレスがつきまとう。
行動自体は好きじゃないけど、報酬のためにやる。これが望み通りに得られるかどうなのかに一喜一憂しなくてはならない。
コントロールできないことなのに。
お金や周りの評価は結果についてくる。
結果というのは、自分の行動の積み重ねにより訪れるものであるも、万全を尽くしても得られない時もある。
それがすごいストレスなのだ。
やりたくないことを報酬のためにやっているのに、その報酬が得られないときがあるというのは不条理だからだ。
内発的やる気による行動は、周りがどうあろうと関係ない。
自分が好きで、没頭してやっているのだ。
面白いことにやる気に沿ったこの行動は結果に繋がりやすい。
好きこそものの上手なれ、好きでやることは上達するため、結果が出る可能性が上がるからだ。
もし人の役に立ったと感じられた時に幸せだなと感じるのであれば、多くの人に感謝される自分になるということを目的にしてほしい。
人はみんな幸せになりたい。
誰に言われたわけでもなく、その幸せに向かって走り出す。
その道すがら、困難はあるだろうが、目的を思い出せば、その困難こそが、感謝される自分になるという目的達成の糧であることに気づく。
長いスパンでの目的意識を持てれば、目の前の困難は幸せな自分への近道のように見えてくる。
人を殺めてしまった人、非行に走る子供、ストレスに悩む社員…バラバラの境遇に見えるかもしれないが、みんな幸せになりたいという想いの反動から出ている行動や症状だと捉えている。
自身の人生に向き合い、長い視点を持ち、人生を好きになること。
メンタルコーチとして、人の心を勉強する者として、それぞれが自分の人生を好きになるサポートをしていきたい。