2017年10月31日火曜日

自分の人生を好きになること


今日兵庫で、寝ていた夫を刺し殺す事件があった。奥さまが朝旦那さんを起こしに行って、旦那と喧嘩になり、腹を刺したんだとか。


日々色々なニュースがあるが、つい考えてしまうのは、その現場にいた加害者、被害者の頭の中のこと。


どんな環境で生きてきたのか。


その日どんなことがあったのか。


そして、その事故が起こったとき、どんな感情が沸き起こっていたのか。


どうして抑えられなかったのか。


誰だって、良い人生を歩みたい。


良い人生に対する考え方、これが価値観だ。


これは人それぞれであって然るべき。


誰かに描いてもらうものではない。


自分の価値観に沿った生き方が出来ていない人は、理由もなくイライラしてしまう。


些細なことで怒りや憎しみスイッチが入ってしまう。


感情は意味があって出てくる。


多くの人が勝手に良くない感情と決めている怒り、不安、悲しみなども、喜び、興奮同様に理由があって出てきている。


その感情を深く深くひも解いてあげると、そういう感情は結局、「自分は幸せに生きたいのにその通りに生きられていない」という心の叫びなのだ。


こういう感情に目を向けて、根本を掘り下げると、自分の価値観が見えてくる。


自分はどう生きたいのか。


誰が決めたか、怒り、悲しみ、妬み、悔しさ…そういった感情はネガティブ感情と呼ばれる。


より良い人生に導いてくれるシグナルなのに。


長期的に見れば、そういう感情もポジティブな影響をもたらしてくれるのに。


感情が、なぜ出てきているのかという根源に目を向け続けてほしい。


事件の話に戻そう。


イラっと来て、刺すという行動に出ているのだろう。


きっと積もりに積もった怒りなんだろう。


でも、どんなに感情が積もろうが、行為をコントロール出来る人もいる。


出てきた感情を行動に出す人と出さない人の差。


人はこれを理性という。


理性とは、守りたいものなんだと思う。


家族や仲間との生活、趣味、自分の人生…。


大事なものがある人は、人のことを刺したりしない。


ニュースに出てくるような行動に走ってしまった人は、自分の人生を好きになれていないんじゃないか。


自分の人生を好きになるには、受け身ではだめ。自主性がいる。


自分が好きなことは何か。


幸せな人生って何か。


誰の役に立ちたいのか。


どうやって役に立ちたいのか。


なりたい自分像は何か。


なりたい自分像になるために活かせる強みは何か。


こういうことを探求する自主性がいる。


幸せは与えられるものじゃない。


周りが与えられるのは、それを考える環境ときっかけ。


こういうきっかけがあれば、人を殺めるような行動を移さなかったんじゃないだろうか。


殺人という行動だけではない。


子供の非行もそう。


子供に厳しい要求をしながらも、支援を惜しまない親の子供は非行に走る率が低いという研究がある。


これはどういうことか。


要求が高いとは期待が高いということ。


子供たちは期待に添いたいと、目の前の山を登りだす。


目の前の山は登ってみると意外とつらい。


挫折しそうになりながらも、周りの厚いサポートを糧に登りきる。


期待に応えられた!


また親から厳しい要求が来る。


「次はあの山を目指してみようか。」


登れるかなぁ。でも親の期待に応えたい。この山登れたのだから、あの山もいけるかもしれないしと、また登りだす。


辛くて、挫折しそうになるも、親からサポートがあり、頑張ってみる。


また登りきれた。


「自分は結構できるんだ。」


ここまで行けば、自分で走り出す。


自分の自信という枠の中で、なることの出来そうな最高の自分に向かって。


そして、また困難を乗り越えた経験が自信を高め、最高の自分はもっと大きいんじゃないかと思い始める。


自分は結構出来るんだのあたりから、もうこの子は自分の人生が好きになっている。


「自分は出来る」という思いがある子が、自分の将来の可能性を潰すような非行に走るとは考え難い。


この研究はそういうことを教えてくれているんだと理解した。


ストレスが猛威を振るう企業で、こういう話をすると、管理職になればなるほど、「なりたい自分像なんてないよー」という反応が来る。


別にそんな大それたことでなくていい。


①なんのために仕事しているのかという理由を、②自分が嬉しいと思う価値観に結び付けられれば、今まで敵だと思っていたストレスがスッと味方になる。


やる気には二つある。


お金や周りからの評価を得たいという外発的なものと、自分がやりたいからやるという内発的なもの。


外発的やる気による行動にはネガティブなストレスがつきまとう。


行動自体は好きじゃないけど、報酬のためにやる。これが望み通りに得られるかどうなのかに一喜一憂しなくてはならない。


コントロールできないことなのに。


お金や周りの評価は結果についてくる。


結果というのは、自分の行動の積み重ねにより訪れるものであるも、万全を尽くしても得られない時もある。


それがすごいストレスなのだ。


やりたくないことを報酬のためにやっているのに、その報酬が得られないときがあるというのは不条理だからだ。


内発的やる気による行動は、周りがどうあろうと関係ない。


自分が好きで、没頭してやっているのだ。


面白いことにやる気に沿ったこの行動は結果に繋がりやすい。


好きこそものの上手なれ、好きでやることは上達するため、結果が出る可能性が上がるからだ。


もし人の役に立ったと感じられた時に幸せだなと感じるのであれば、多くの人に感謝される自分になるということを目的にしてほしい。


人はみんな幸せになりたい。


誰に言われたわけでもなく、その幸せに向かって走り出す。


その道すがら、困難はあるだろうが、目的を思い出せば、その困難こそが、感謝される自分になるという目的達成の糧であることに気づく。


長いスパンでの目的意識を持てれば、目の前の困難は幸せな自分への近道のように見えてくる。



人を殺めてしまった人、非行に走る子供、ストレスに悩む社員…バラバラの境遇に見えるかもしれないが、みんな幸せになりたいという想いの反動から出ている行動や症状だと捉えている。



自身の人生に向き合い、長い視点を持ち、人生を好きになること。



メンタルコーチとして、人の心を勉強する者として、それぞれが自分の人生を好きになるサポートをしていきたい。

2017年10月27日金曜日

日本ハムから考える部下や子供の育て方

こんにちは。メンタルコーチの伴です。


昨日日本ハムが7社競合の末、清宮幸太郎選手を引き当てました。


日本ハムはくじ運が素晴らしい(''ω'')


過去のドラフトを見ると、ダルビッシュ、中田翔、斎藤佑樹、大谷翔平…そして今回の清宮幸太郎。


しかし、今回のブログで注目していきたいのは、運を引き寄せる方法ではなく(笑)、そのほとんどの選手を球界を代表する選手に育てる日本ハムの手腕です。


もちろん、素質が良い選手が集まっているという事実もあるでしょう。


ただ、それだけではなさそうなのです。


例えば、2008年にドラフト1位で巨人に入った大田泰示選手が昨年オフに日ハムに移籍、


巨人では8年間活躍できなかったにも拘らず、今年新天地でブレークした事実です。


自分が就活をしていたころは、やはり入社するなら自分が伸びる会社に入りたかった。


いつか自分の子供が就職するなら、子供が伸びる会社に入ってほしいと思う。


日ハムが持つ人を育てる秘訣が何なのか気になったので、調べてみました。横着してネットで。


事の真相はわかりませんが、一つこれか!という点がありました。


どうやら日ハムは、「何が何でも勝たなきゃいけない球団ではない」らしい。


日ハムファンが気分を悪くしたらごめんなさい。でも、そういう記事がありました。


これが本当だとしたら、栗山監督の采配の寛容さを頷けます。


この監督は、結果が出なくても、伸びると信じた選手を使い続ける。


これ理にかなっているんですね。


やり抜く力を持つ子供を育てる親を科学した研究があります(Steinburg, 2000)


まず、下記の通り支援有無と要求の高低の2軸で4つのタイプを分別(怠慢、寛容、独裁、賢明)。


そして、1万人を超える未成年に親の行動に関するアンケートを実施し、全ての親をこの4つに分類しました。


その結果、賢明な親(期待を高く保ちつつ、支援は惜しまない親)の子供が、他のタイプの子供に比べ、学校の成績良く、自主性が高く、うつ病になる確率や非行にはしる確率が低かったのです。


お、栗山監督はまさに、このタイプだ。


伸ばす人なんだぁ。


清宮選手、いいとこ行った!


なぜ伸びるのかについても考えてみましょう。


こういう人の下にいると、プレッシャーというストレスの捉え方が変わるということが言えます。


目先の勝ちにこだわる球団とそうじゃない球団の環境の差は、選手たちの視点にも差を生みます。


何としても勝たなくてはならないというチームは、選手を結果によって評価せざるを得なくなります。そうすると自然と選手の視点は短期的なものに向いてきます。


これ、非常に危険な状態です。


ストレスとは、与えられたタスクにおいて、望み通りの結果を得られるかどうかの不確実により出てくる反応です。


それ自体が悪いものではありません。


この反応に対する個人の判断がストレスを良いものにも悪いものにもするのです。


例を使って解説します。


プロは誰もが試合に勝ちたいと思って試合に臨みますが、そもそも試合の結果とは、選べるものではないので、不確実なものです。


勝たなきゃと思うほどにプレッシャーと呼ばれるストレス反応は大きくなります。


欲しいのに、得られるかわからない。


相手が強いほどに、勝ちという結果を得られる可能性が下がりますので、邪魔なものでしかなく、目の前の試合というストレス要因をネガティブに捉えやすくなります


逆に目先の勝利以上に、チームの成長という長期視点を重要視しているチームでプレーしている選手はどうでしょうか。


「お前は偉大な選手になれる」と期待を持たれるわけです。


栗山流の期待は大きく、支援は厚く。


本人も使われるかどうかの目先の結果ではなく、自分が成長したい姿を思い描き、それを目指そうという余裕が出てきやすくなります。


それを目指すためには、練習し、実践でその力を出す鍛錬をするということしかないでしょう。


となると、「試合に出たい」となるわけです。


勝てなくて良いという選手はいませんから、勝ちに行きます。実力を発揮しに行きます。前述のチームの選手同様に、結果の不確実性がストレス反応を生み出します。


ただ、このストレスの捉え方はどうでしょうか。


試合に出たい、結果を残せる選手になりたいと思っている人には、目の前のストレスは成長の糧なんです。


相手が強ければ強いほど、自分を伸ばすチャンスなんです。


前述の選手は、勝たなきゃいけないのに相手が強いほどネガティブなストレスが増えました。


この違いわかりますか?


ストレス自体はネガティブなものではないのです。


なりたい自分像という長期視点に立って目の前の試合を考えると、ネガティブだと捉えていたプレッシャーが成長の糧に変わる。


ストレスを敵にするのか、味方にするのかは、あなたの視点次第。


日本ハムの「何が何でも勝たなきゃいけないわけじゃない」環境が、監督含めた管理職を寛容にし、選手を長期的視点を持てるようにしている。


皮肉な話ですよねぇ~。


でも、これを知っているか知っていないかで、人を育てる力がぐんと変わります。


組織運営も子育ても、要求は高く(期待は大きく)、支援は厚くでいきましょう!


それでは~
バンヒロ

2017年10月3日火曜日

給食を残さず食べるように指導することのデメリット


こんにちは。メンタルコーチの伴です!


給食問題がニュースを賑わせていますね。味は百歩譲ってしょうがいないとしても、髪や虫などの異物の混入というのは、子供の健康に関わってきちゃうので、その安全だけは最低ラインとして守ってほしいですね。


そんな中で、一昨日チラッと見た番組でまずい給食を残させていいのか、という議論が巻き起こっていました。


無理に食べさせようとして、子供が戻してしまうという例が多く出てきていることを挙げて、そこまでする必要があるのかという主張と、忍耐やマナー(給食が配膳されるまでに関わった人々への感謝の気持ち含む)を教えるためにも最後まで食べさせるのが食育なんだという主張。


外出の時間だったので、最後までしっかり見れませんでしたが、すごく興味深い内容だなと思いました。


パフォーマンス心理学の観点から、忍耐力を小分けにしながら、この問題について考えていきます。


まず、前提として、誰のための議論なのか、主張なのかを明確にする必要がありますよね。


番組上で、「自分の頃の給食は不味かったが、みんな残さず食べされれてた。そうやって、我慢強さを学んだんだ」という主張が数度出てきていましたが、この言い方だと自分のやり方を押し付けとも取られてしまう可能性があるなと。


この議論は、子供の体力的、心理的な成長とにとって何がベストなのか、を見い出すためにしてほしいなと感じました。


この投稿では、子供の心理的な成長のみにフォーカスしていきます。



お断りしておくと、この投稿は教育方針はこうあるべきということを伝える目的ではなく、人の成長のために必要な要素をお伝えするものです。

そもそも忍耐力って何なんでしょうか。そして、そのどんな忍耐力がこれからの世の中で要求されていくのでしょうか。


忍耐力といっても、複数の種類があるように思います。


これ、アメリカでパフォーマンス心理学を学んでいる時にすごく混乱したのですが、英語では忍耐力に相当する言葉が3つあります。


Endurance(我慢強さ)、Perseverance(根気強さ)、 Resilience(心理的な回復力)

Endurance


我慢強さ。根気が努力の積み重ねを指すのに対し、これは耐える、我慢するという行動に重点。



Perseverance


根気強さ。目標に向かって、努力を重ねていく力を指します。



Resilience


心理的回復力のこと。なにか辛い出来事に直面した際に、素早く立ち直れる力のこと。


これのどれを育ませたいのかということで、主張は少し異なってくるように思います。


例えば、終身雇用が当然の世の中では、一度入ったら会社を辞める選択肢はデメリットのほうが多い世の中では、①我慢強さがとても重要になってくるでしょう。耐え忍ぶことのメリットや意義が大きい。その中で、この力がないと生きにくい世の中になってしまうのではないでしょうか。


逆に、会社を辞めるという行動が自身に合った仕事を見つける手段という捉え方広まっている世の中(例えばアメリカ)では、①の我慢強さはあまり評価されません。②のなりたいじぶんになるための根気強さ、③の逆境も素早く乗り越える回復力ほど重要視されます。アメリカの大学院の授業でも、PerseveranceResilienceがよく議論されるのに対し、Enduranceは一切出てきませんでした。


心理的回復力でいうと、災害や恐慌など起こる可能性が高い世の中ではとても重要なスキルと言われています。心理的回復力が高い人は、起こってしまったことを認め、理解し、その状況下でどうすべきかという視点に素早く切り替え、必要なアクションを取り始めることができるというのです (Achor, 2013)


給食の話に戻りますが、番組内で言われていた不味くても、食が細くても、最後まで食べきらせるべき、という主張のポイントは、①の我慢強さを育てるということなんだと理解します。


主張の意図はわかりました。では、無理にでも食べさせるしつけによるデメリットとは何なのでしょうか?


無理強いすることで、給食または特定の食材がさらに嫌いになる可能性がある(トラウマ化)こともさることながら、最も重要視したいのは、セルフエスティーム(自尊心)を損なうことです。


セルフエスティーム=自尊心、自分は価値がある人間だと思う感情(誰でも持っている感情です)


これは心の成長において、最も重要な要素です。長年の研究では、セルフエスティームが高い人は、何かを成し遂げる可能性が高いリーダーシップを取れる周囲から受け入れられやすい(Baumeister, 1997; Bednar & Peterson, 1995; Robins et al., 2008; Swann et al., 2007)といった利益により、結果幸福感が高まりやすい(Baumeister et al., 2003)とされています。


セルフエスティームは、周り(両親、先生、友達含む全ての人)との会話や比較で形成されていきます。


給食を例にすると、周りよりも食が細い、好き嫌いが多い、食べるのが遅いといった比較や、先生に「最後まで食べなさい」とみんなが終わっているのに居残りで食べさせられる状況に対し、子供は「自分はダメな子なんだ」と評価をくだしてしまう可能性があります。

この本人による自身への評価が、セルフエスティームを下げる原因となり得ます。


人の成長は日々の全てのイベントとそれに対する本人の評価の積み重ねであり、この給食は一つの毎日起こるイベントかもしれません。

が、あえてこの件(無理やり食べさせるしつけ)から判断するのであれば、セルフエスティームを下げるリスクを取って、我慢強さや、マナーを鍛えるかどうか、がポイントなのかなと思います。


教育方針は各家庭、学校で異なって然るべきですので、方針はこうあるべきなんてなんて言うつもりはありませんが、子供の成長を考えるなら、自尊心を傷つけない方法で給食に携わった方々への感謝やマナー、栄養学など必要なことを教えてほしいなと思います。
(しつけ、叱責が必要ないというわけではないです。)

ここからは、私個人の意見ですが。我慢強さだけで言えば、セルエスティームを下げてまで、獲得する必要があるものではないのではないかと思います。

働き方革命が謳われ始めた昨今から鑑み、10-20年後にはさらに自由な仕事環境になっていることが容易に想像できます。


そんな環境では、与えられ場所で与えられた職務を我慢しながら全うする力よりも、リーダーシップなどの率先力(セルエスティームが大きな影響を与える)のほうがよほど重要だと考えるからです。
(違う意見の方も多くいると思います。そうであるべきだとも思います)


子供の食事が体力的な成長の妨げにならない範囲であれば、無理強いはしないほうがいい。

その代わり、子供たちには食事をバランスよく食べることによる本人へのメリット(食べないことのデメリット)を理解してもらう。

そして、いつも食べられないものを食べたり、残さず食べられたときには褒めてあげることで、セルフエスティームを育みながら、食育(マナー含む)も目指す、これが理想なのじゃないでしょうか。

どういう子供を育てたいのか。それを決めてから、どういう教育方針にすべきか、コミュニケーションを取っていくのかとステップであれば、その番組もより有意義な議論になったのかなと感じました。


再度言いますが、子供たちにとってベストな教育方針が何かということは、僕にはわかりません。伝えたかったのは、どのような教育方針であれ、私は(僕は)ダメな子なんだ、という想いを持たせてほしくないということです。

直近のセミナーでも、部下を育てる会話術をテーマにしました。このテーマの中心もやはりセルフエスティームを下げないということでした。御好評をいただいたので、セルフエスティームを意識したコミュニケーション術は定期的に広めていきます(^^)/


それでは~
バンヒロ